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正直で優しい目・Carl Zeiss Distagon T* 25mm F2.8


Carl Zeiss Distagon T* 25mm F2.8

こんにちは。札幌はいよいよ春らしくなってきました。スタジオにはお庭があるのですが、ソメイヨシノを眺めてみたり、冬囲いを外してイングリッシュローズの世話を始めてみたり、雪で壊れてしまった塀を直してみたり、お金じゃなくて手間をかけて楽しめることを探して過ごしています。なんでもないような日常の風景の中には、特別なことがいっぱい宿っていて健気に前向きな草木を眺めていると気持ちが明るくなれるような気がします。

スタジオから見た青空

Zeiss Distagon T* 25mm F2.8

絵を描く人は「今日はどんな絵をどの筆で描こうか」と気持ちを込めて描くのでしょう。私はカメラで何を撮ろうかな。思い立って眺めてはこれで撮りたいってお気に入りのレンズで自由にぱちりって紡ぐのは心地いいです。

スタジオのランプ

Zeiss Distagon T* 25mm F2.8

Zeissのレンズは取り立てて主張することもなくて見たまんま写るような気がします。40年以上前のレンズですが、いまどきのレンズに決して負けない描写。Zeissのレンズはフィルム時代から使っていて本当に好きな描写なのですが、京セラContaxがカメラを作らなくなってから仕事として使うことがなくなってしまいました。

スタジオのドアと西陽

Zeiss Distagon T* 25mm F2.8

スタジオのドア。いつもの風景。ドアの向こうには窓があって西陽が差していました。この風景も変わらず何年も眺めてきました。今日もお日さんが傾いてきて、やがて暮れていきます。寂しい時も楽しい時も嬉しい時も悲しい時も毎日見てきた風景がそのままに写るっていいな。

夕陽の写真

Zeiss Distagon T* 25mm F2.8

ものの見え方はそんなに鮮やかじゃないって、過度に彩られた写真が世の中にはたくさんあるけど作らず飾らずそのまんまの写真が僕はいい。新しいレンズ、古いレンズ、関係なくてそれが叶うなら僕にとっては素敵な道具です。明日は晴れるかな。

スタジオの緑

Zeiss Distagon T* 25mm F2.8

一体どうしたらこういうレンズを作ることができたのだろうか、すごいなぁって、設計者や作り手のもの作りへの気持ちが宿っているようで私は嬉しくなります。

こういうレンズを作る人はどんな思いを持っていて、どんなものの見方をしていたのかな。気持ちが正直でとても優しい人たちなのだろうなぁと思います。

カールツァイス・ディスタゴン25mm/F2.8

綺麗な目

オールドレンズ? いえ、巷のそれとはちょっと違います。最近、またお仕事の撮影でも使い始めています。


フォトスタジオ石井
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色褪せない想い


札幌もついに雪が降りましたね。札幌の今年の初雪は128年間で最も遅かったようですね。寒さが厳しい季節になってきましたけど、冬には冬の楽しみが待っていますね。先日、大切にしているカメラを見て色々なことを想いながら珈琲で休憩をしました。今日はそんなことを綴ってみたいと思います。

僕が写真を覚えたカメラ

Canon-NewF1とFD50mm F1.4。レンズはニューヨークで買いました。僕は50mmと35mmの単焦点レンズで写真を学びました。最初は写真のことは全く知りませんでした。毎日モノクロで撮影しては自分で現像して、暗室で一枚一枚の写真に気の遠くなるような時間をかけてプリントをしていました。印画紙に自分が写した写真が浮かび上がってくるのが嬉しくて楽しくてもっと上手に、もっと綺麗にと思いながら写真作りに没頭していました。理にかなった撮影をして、きちんとしたネガを作れば、プリントの技術を磨けば、カメラもフィルムも印画紙も応えてくれることを学び得ました。

Canon_New_F1

Canon New F1。僕の大切なカメラです。

このカメラは24年前から毎日毎日、上手くいく日も全然ダメな日もずっと一緒でした。僕さえしっかりしていれば、この子は確実で素晴らしい描写をしてくれる名機でした。
F1のシャッター

ワインダーじゃなくて本体のシャッターにいつも人差し指を添えていたよ。

塗装が剥がれていて真鍮が出ている部分は僕が常に手を添えていた部分です。撮影が終わるたびにブロアをかけて磨いてね、雑に扱うのが嫌で、大切に大切していました。だから不用意に付けた凹みやキズは一切ありません。僕が好きな写真を撮るために、やっと手元に来てくれた憧れのカメラでした。

カメラの角

巻き上げの角は親指で擦れたよ。

欲しいものは少しでいいんだ

僕は小さな頃から、例えばオモチャを買ってもらったらそれでずっと飽きることなく遊べる子どもでした。だから今でも当時どんなモノをどのくらい持っていて、誰が買い与えてくれて、それでどうやって遊んでいたか、だいたい覚えています。モノをねだることがあまり無かった僕ですが、欲しいモノが無かったわけではありません。欲しいと思っても考えているうちにやっぱりいらないと思えるもの、何度考えてもやっぱり諦められずに本当に欲しいと思うものが見えてきて、我慢をしていたというよりも、最初からあれこれいらなかったのかもしれません。だから本当に欲しかったものや好きなことを手にしたらずっと遊んでいたんだと思います。僕が欲しいのはものじゃないんです。想いや気持ちが色褪せることは半ば何かを失うようで寂しく感じていたんだと思います。

大切なことを大切にしたい僕の想い

好きなもの、好きな人には近くにいて欲しくなりますよね。でもいつまでも手元にあると思って気に留めない?必要な時だけ応えてくれたらそれでいいのかな。流行に飲まれない、時代のものじゃない人の気持ちも、お気に入りの物も、写真も同じです。写真が時を経るごとにどんどんたからものになって、愛おしく感じるのはそこに想いがあるからですよね。だから想い一杯でシャッターを切って、僕と一緒に気持ちを繋いで歩んでくれて、僕に応えてくれたカメラもね、ずっと、ずっと、いつまでも大切にするんだ。カメラも嬉しいかな、そうだと嬉しいな。

カメラの刻印

名前も刻印してあるよ。すっと大切にする誓い。僕だけのカメラ。